というタイトルの自己啓発とか誰かが書いていそうだけども。
これは今後の人生を作っていくにあたっての戒めであって、決意表明です。
これまでの人生で、一体どれだけの時間を無駄にしてきたかと考えると、やはり恐ろしい物がある。小学生の頃は勉強せず遊んでいたし、中学の頃は勉強せず引きこもってたし、高校の頃はやはり勉強せず遊んでいた。高校の時に情報系の道を志した割には、5年経って(まともにプログラミングやり始めてからは2〜3年程度だけど)未だにまともにプログラムを作ったりしていないし、最後に完成させたソフトウェアって多分SDL使って作ったテトリスだったりする。去年のやつ。
プログラマのバイトを初めて、情報系では実務の経験を積んでいるように見えるけれども、あまり会社で得られている経験が大きいものとも思えないし、バイトを初めてからめっきりブログもgistも書かなくなって、これは非常にまずい。
最近37signalsに感化されて、単にエンジニアリングだけで勝負するよりも、一人のプログラマとして現実の問題を相手にビジネスしていかないといけないとは思ってはいるけど、そもそも自分の理想のエンジニア像っていうのは、何らかの分野で高い技術力を持っていて、常人の何倍もの生産性で仕事を片付けてさっさと帰るような人であって、今の自分がそこまで技術を深く習得出来る気がしない。
ここ最近、というか高校のころからだけど、あまり計算機科学だったりITだったりに熱中したことがなくて、周りの人たちはハックに熱中してる分どんどん伸びていって、年下の人にも追い越されたりして、その部分がコンプレックスであったりはするんだけど、
やっぱり面白いことは面白いんだよね。Ruby on Railsでどうやってアプリケーションを高速に開発するのかとか、豪華になったJavaScript周りの環境でフロントエンドをどう構築するかとか、どうやったら高速で快適なLinux環境を構築できるのかとか、どうやって立体形状とその名前を結びつけるのかとか。興味のある対象はあって、ただそれに払う情熱が足りていない。
情熱が足りていないというのは知的好奇心が何か別のリソースに対して払われているということ。体力が何か他のことに使われているということ。何か本当はどうでもいいはずのことのせいで疲れているということ。反省してみると、さして意味はないけども惰性で続けていることというのは思いの外多くて、振り返ってみるとただネット見てたり、ただゲームしてたり、ただテレビ見てたりしている。時間の浪費はやめるべき。ゲームするのを悪いとは思わないけど、それが惰性で行っていることなら続けるべきではない。なんとなくやっていることを続けるよりは、今明確にやるべきだと思えることに注意を払いたい。
自分をダメにするのはやめよう。(戒め)
それはそうと、最近ブログ書かなすぎなのでは…… 対外的に発表することがモチベーションにつながったりするので、なるべくブログを書く頻度を上げていきたい。
あとWinタブが欲しい。